2010年12月13日月曜日

布施のコハクチョウ

今年もまた、いすみにコハクチョウが飛来しています。
12月5日の写真です。今日12月13日も同じ場所で、同じ13羽が餌を食べていました。 この写真で分かる通り、頭の羽がまだ灰色の幼鳥がいます。それでもシベリアから飛んできたのでしょう。大したものです。
昨年と比べ数はまだ少ないようです。昨年は50羽前後が春先までいましたから、これから数が増える可能性があります。
野鳥の会、布留川さんに聞いたところ、いつも塒にしている高田の堰(トンボ沼)には戻らないそうです。どこがねぐらか分からないとのことでした。
コハクチョウからすると昨年来た家族が又来ていると思われますが、すみかを変えることがあっても、食事場所は同じところに来るということは、食べることが最優先なんですね。
現在の13羽が何家族なのかは分かりませんが、いつもながらこの風景は農業と生き物が共生していることを実感させるもので、元気に育ってもらいたいと願う気持ちになります。

2010年12月7日火曜日

クロスズメバチ














12月4日我が家の谷津田周辺を散策中にクロスズメバチの巣を見つけました。今年はまだ霜も降りないせいか、働き蜂が元気に活動をしていました。巣から土を出していたのも驚きです。例年ではそろそろ活動が鈍り、女王蜂のみが越冬している時期かと思います。

長野や山梨の方では食用昆虫としてよく知られています。15.6年前ですが、妻の実家(山梨)に遊びに行ったとき、偶然散歩していて巣を見つけて掘り出したことがあります。それを持ち帰ったところ、炒ってくれて食べたことがありますが、結構美味でした。缶詰としても売られていますから、機会があったら食べてみてください。

勝浦の私のところでは食べませんが、10月頃の一番幼虫の数が増えた頃掘り出して、ハヤの釣りえさによく利用したそうです。平均で1万匹もとれるのですからすごい量です。

そのハヤも家の近くの川では全く見られなくなってしまいました。食用にもしたし、メジロのすり餌にも利用したりしたものですが、寂しい限りです。

2010年12月5日日曜日

椎茸のほだ木つくり










 


























11月28日に我が家の谷津田だったところに種をまいて育てたクヌギ(樹齢十年弱)を、椎茸のほだ木にするために伐採しました。

私は椎茸を栽培したことがないので聞いたことを書きます。
11月下旬に切り倒しておいて、2ヶ月ほどおいてから、適当な長さに切って1月下旬に運び出すのだそうです。それは、皮をしめて剥がれにくくするためだそうです。皮が剥がれてしまうと椎茸がよく育たないとのことです。クヌギや木楢の切り時は成長の止まった11月下旬よいとのことです。

そして、私の住んでいる勝浦では3月中旬に種付けをするそうです。来年初めてチャレンジします。

蛇足ですが、今年初めてこの谷津田にクロコノマチョウが飛んできました。何度もチャレンジしたのですが、とうとう羽を開いたところを撮影できませんでした。






2010年11月25日木曜日

2010年秋の観察会「鵜原~理想郷の歴史と自然散策」

11月23日勤労感謝の日、夷隅郡市自然を守る会秋の観察会が行われました。

外房線鵜原駅に午前10時集合。大人12名+こども1名が参加しました。あいにく前日夕から雨の天候でしたが、午前中には雨は上がり午後からは晴れ間が覗くという予報でしたので、予定通りに観察会は開催されました。 地元、鵜原理想郷を守る会の方が同行してくださいました。

とはいえ、小雨が降ったりやんだりだったため、予定の前後を入れ替えて散策を後にすることとしました。前半に産業廃棄物処分場(埋立)が建設されようとしている現地をみて、建設反対地元住民の会の方から、お話を伺いました。 
写真のヒラ場すぐ下が計画地の谷です。

処分場建設された場合の悪影響として、①下流域や海への水質汚染と健康被害・漁業被害、②大型運搬車両の交通問題、③理想郷周辺の景観破壊などが想定され、また従事企業の倒産による責任放棄も予想されるため、地域の住民たちで反対運動をしているとのことです。

その後、後半として鵜原理想郷の遊歩道を歩き、歴史・自然を探索しました。

以下、当日資料、泉博幸氏による理想郷の概要です。
・鵜原周辺は三島由紀夫に短編「岬にての物語」のなかで「類ない岬の風光、優雅な海岸線、せまいが言いしれぬ余韻をもった湾口の眺め、たわわなる岬のかずかず、殆んど非の打ち処ない風景」と言わしめた景勝地である。

・理想郷は、大正時代に青年実業家と地元素封家とが養魚場設置の後、世界にも例のない壮大な別荘地として開発を夢見た土地で、「鵜原理想郷土地合資会社」を設立して時の政府高官や財界人たちの購入参加者も多く集めた。

・別荘地だけではなく、運動場、温浴場、教育施設なども計画されていた。

・関東大震災と昭和金融恐慌・世界恐慌を迎えたため、実現されず「殆んど非の打ち処ない風景」が維持され今日に至っている。・理想郷直営の旅館として「鵜原館」が創業され、今日理想郷や文人の資料を保有している。

なるほど、理想郷といわれるいわれを知ることができました。まず遊歩道入口にある「鵜原館」を訪ね、ご好意により館内と文人らの資料を見せていただきました。鵜原のすばらしい景勝を眼下に眺めることができる理想郷の歴史を留める旅館です。客室の窓辺、離れやそこの庭、展望は、大正昭和の避暑地の光景を彷彿とさせてくれます。写真は、離れと庭です。

そして、今回旅館の内部の洞窟温泉や遊歩道のズイ道が、旧日本軍が掘った戦争遺跡でもあることを新たに認識させられました。トンネルの岩のつるはしの跡が、それを掘って額に汗したであろう兵隊さんに思いを巡らせます。

遊歩道散策では、海岸の植物観察、理想郷の崖上・入江・海の景観を探訪しました。南房総の照葉樹林である濃い緑の中にも紅葉の色が混じっていました。芝の草地が広がる高台からは、雨上がりの光り輝く鵜原の海を臨みました。

崖下には、昭和30年代頃まで使われたであろう岩を四角く掘り込んだいけすの跡が多数見受けられます。すでにだいぶ侵食されていますが、ここは漁師さんたちが掘ったのでしょう。浜には、カジメアラメがたくさん打ち上げられていました。海の中にはカジメアラメの林があり、多くの生き物がいることが想像されました。

海水浴場では、海辺に多数の黒い点が浮かんでいます。波を待つサーファーたちです。

対岸の青海小学校の白い建物右上の沢が産廃計画地です。かなり急な地形の沢のようです。丘陵上の高層マンションも必ずしも、鵜原の景観にはプラスになってはいないようですが、マンションからの眺めは格別でしょう。そこの住民たち、新住民も海辺の古くからの住民と共に反対の運動をしています。

土屋さんによる植物観察、解説を受けつつ鵜原漁港から山道を歩き、鵜原海水浴場まで散策しました。最後に長いトンネルを抜けて海水浴場海岸に着くと、民間駐車場もたくさん目に付きます。夏場の料金、車1000円・バイク300円の看板が見えました。観光は夏場がカキイレドキです。

先ほどの処分場計画の谷からの水が海に出る河口も見学に行きました。シーズンを過ぎた海辺の公共駐車スペースは今日は半分以上空いています。

鵜原の青年館をお借りし、波の音を聞きながらの遅いお昼、弁当となりました。青年館には、歴代の区長さんの肖像写真が掲げてあります。明治初年の区長さんの頭には髷が載っていました。食後、相互に自己紹介、懇談を行いました。午後二時半頃、解散となりました。青年館から外に出て目の前の海に向うと方向は真南。背中の町並みから丘陵山側は北側です。この頃には雨が上がり、空は明るくなってきました。風向きは昨日からの南風から北風となり、これから気温が下がっていくことを予感させていました。
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イソギクです。以下は、目に付いた主な植物です。

ノシラン、イソギク、ツワブキ、ワダン、ツリガネニンジン、マルバハマシャジン、アシタバ、ラセイタソウ、テリハノイバラ、フウトウカズラ、ドクウツギ、ヒメユズリハ、マルバグミ、マルバアキグミ、マルバシャリンバイ、トベラ など

2010年8月30日月曜日

白化個体その後


前にブログに掲載しましたウシガエルの白化個体の幼生ですが写真のようにごく普通のおたまじゃくし、あるいは変態個体になっていました。岡崎市にある基礎生物学研究所 バイオリソース研究室(併任)総合研究大学院大学 生命科学研究科・基礎生物学専攻成瀬 清先生に連絡しましたら、下記の返事がきましたのでご紹介します。



成瀬先生へ報告
ウシガエルの幼生についてお世話になっています。
先日のウシガエルの幼生ですが、正常個体といっしょに小さな池で飼育してい ましたら、
写真のように気がついたときには1匹は変態、1匹はおたまじゃくしのままで
正常色?になって観察されました。
どちらが白化個体であったか分かりません。
池にはその2個体しか入れてませんので、白化個体は正常色に変わったのでは ないかと思います。
以上報告致します。

返事

 メダカでも胚の時は白化その後正常という系統がいます。これは酵素の発現部位調節部位に変異があって発現が遅れるためです。                                           
                                                
以前に成瀬先生からのコメント
ブログの写真を拝見しました。目は少し薄いようですが黒い色素がありますね。体表は2色ですから黄色い色素細胞にも影響が出ていますね。黒い点があるのは色素細胞の分化の過程で目と同じようなシステムが点の部分だけでているのではと思います。もしも多くのアルビノ原因遺伝子であるチロシナーゼの機能欠損ならば目もふくめて白化するはずですのでチロシナーゼの単純な機能欠損では ないと思 います。白化は少なくとも4つ以上の原因遺伝子がありますので、なかなか表現型からはどのような遺伝子の欠損かはわからないです。白化個体は自然界ではほとんど生き残りませんので、カエルにまで育てたい場合は家庭で単独飼育して変態させると言うことですがウシガエル は2年く らいかかると思うので、なかなか難しいかもしれません。

2010年8月28日土曜日

8月29日生物調査、実谷谷津田で行います

夏休み最後の休日、29日(日)に、谷津田とその周辺で水質と水生生物の調査を行ないます。

日程と概要は以下の通りです。自由研究のお助けになるかも??子ども達の参加、待っています。

≪谷津の水辺の生きもの調査≫  
日時  8月29日(日) 13:00~16:00 
集合  実谷 長慶寺:12:45 , 
現地:12:55 
案内  夷隅郡市自然を守る会(西友夫・手塚幸夫) 
その他 水筒、帽子、川の調査に適した服装、着替え、他

2010年8月14日土曜日

宙を舞うスナメリ

2010年8月10日(火曜日),11日(水曜日) 夷隅川流域生物多様性保全協議会の活動として、夷隅川流域にある中学校5校(大多喜西中、大多喜中、国吉中、大原中、岬中)の中学生の皆さんの、太東埼燈台とその周辺の自然を観察する観察会がありました。

その様子は,いすみ里海自然観察クルーズのブログ(http://satoumi-cruise.blogspot.com/)に詳細に掲載しました。夷隅郡市自然を守る会も自然観察の説明、実習等、クルーズのスタッフとして、全行程で協力しました。

クルーズでは、数年間続けて来て、はじめての、ものすごい大群(50頭?)に出くわしました。そういえば東京新聞の宮山さんが、多分鈴栄丸の斉藤船長さんの通報で東京から10分で駆けつけて撮影した時が100頭の大群でした。そのときの写真が大原港の体験案内所に展示されています。ぜひご覧下さい。

スナメリがこんなにも生息していることは、それだけイワシを含めて小魚の餌が豊富だということを物語るものです。時にはオミズナギドリの大群、アジサシの大群、イワシの大群、マグロの大群などに出会うこともあり、それだけ豊饒な海なのです。

クルーズで何回も乗船していると、時にはそういう素晴らしい光景に出会うこともあります。
それでは、今回いすみの海で出会ったスナメリの様子を写真で紹介しますのでぜひご覧下さい。

白いこうもりより








          右から1頭目は潮吹きしているのが見られます。




2010年7月19日月曜日

ウシガエルのおたまじゃくしの大発生と白化個体発見

先日は、ベニクラゲの大発生をブログに投稿ましたが、本日は近くの水路(100メートルくらい)でウシガエルの赤ちゃん、おたまじゃくしが大発生していましたので、ブログに投稿しました。この水路は椎木堰から流れてくるので、椎木堰で大発生したウシガエルのおたまじゃくしではないかと思われます。

この水路の水面は写真のようにおたまじゃくしで敷き詰められている感じでした。近所の方にお聞きしましたら、3日くらい前はこの2倍以上いましたとおっしゃっていました。また、1匹白化個体が見つかりました。皮膚が前半が純白で、後半は肌色という感じでした。

以前1980年代に旧大原町新田のもくべい商店の田んぼで、白い(アルビノ)個体が見つかり、話題になったのを覚えています。昨年は、自然を守る会の会員の布留川さんが青いウシガエルの成体を発見しています。  白いこうもりより












2010年7月18日日曜日

不老不死ベニクラゲの大発生

月16日、18時ごろ、東浪見の海でサーフィンをしていた時のことでした。グッドな波待ちをしていた時、ちょっと視線を波から、ボードのまわりの水面に移してみました。すると、無数のベニクラゲと思われる水母が、私の周りを遊泳しているではありませんか。この水母、調べてみましたら、有性生殖後、死なずに、触手の収縮、外傘の反転、サイズの縮小を経て、基物に付着、ポリプ(水母になる前の固着生活する時期の個体)になる。個体の一生で、若い時代に戻れるのです。若返ることが出来る水母なので、不老不死の水母とも言われています。何とも羨ましい限りである。私もベニクラゲにあやかりたいですね。赤く見えるところは胃で、ベニクラゲの和名はそこから付けられたようです。その断面は十字形をしています。触手は80~90本、傘の直径1cm以下の小さな水母です。海水温は15℃以下の夏にしては冷たい水温でした。 白いコウモリ








2010年7月15日木曜日

7月10日唐箕掛け搾油トライアルの報告

刈入れ後、1カ月山田のビニールハウスで十分乾燥させた種を、唐箕をかけきれいにしました。その後、採れた種1.5Kgを搾油してちゃんと油がとれるかを確認しました。また、同時に、昨年有志が栽培したひまわりの種で搾油デモをしました。
唐箕をかけた種の重量は40Kg 弱。1.5Kgの種から絞れた油が280CCでした。この機械では平均的な搾油率です。ひまわりは約3Kgの種から600CC絞れました。気がついたことは、菜種のカスとは違い、ヒマワリの絞りかすは食べると苦味はなく、少し甘みが感じる「おいしい」ものでした。 唐箕掛けには当日、ネイチャーセンターに遊びに来ていた親子も参加。子どもは楽しく唐箕を回していました。 更に種は乾燥を続け、長野の搾油業者さんに届け、昨年同様特別な菜種油としてプロジェクト参加者に分配されます。

5日後の搾油した菜種油とひまわり油のボトルです。大きいボトルがひまわりで、沈殿ろ過が進んでいますが、小さなボトルの菜種油はとれたままの黒い状態です。不思議ですね。

2010年6月26日土曜日

菜種の種取りが終わりました

6月8日に収穫し、その日のうちに山田のビニールハウスへ移動、そして乾燥を進めて来ました。6月21日、適当な曇りの日に種取り作業を11人の参加で行いました。
足で踏む人、棒でたたく人、手でむしる人、束を床にたたきつける人、いろいろ方法はあります。要は莢から種をはじかせ落とせばよいのです。2時間余りでほぼ終了。残った、茎、鞘を集め、隣のキウイ畑に敷き詰め肥料代わりに処理しました。今年の成果はこれです。あれ?少ないのじゃないかと去年を知る人から声が出ました。半分くらいじゃないかという懸念もあります。

又、やけに色が赤いというか、いつもの黒い大粒の種からすると未熟な感じがします。刈取までの日数も長く、乾燥も長くかけているので、理由は分かりません。
昨年のものと比較するとこんなふうです。上が今年、下が昨年までの種の乾燥した状態。

いろいろ、どんな油になるか不安はありますが、後日(6月26日)計量したところ、ちょうど40㎏と昨年とほぼ同じでした。ただ、唐箕にかけると軽い種は飛ばされるのでかなり減るはずです。

こんな年もあるという一つの経験です。さて、唐箕掛けと搾油デモはどうしたものか、ネイチャーセンターと相談しましょう。

これまでの菜の花エコの報告は、「いすみLife & Work」で連載してきましたが、他のメンバーも投稿できるよう、夷隅郡市自然を守る会ブログに合流とします。

2010年6月8日火曜日

菜種刈り取り

今日、菜種を刈り取りました…いすみネイチャーセンターにて

次の野菜を作るため、根を撤去しました・・・これが大変な作業でした
ツカレタビー(~・~)

根の土をよく落とします


収穫した菜種の実です・・・山田地区のYさんのところに運び、乾燥させます


大きなビニルハウス

向こうは、先日収穫したもの すでに乾燥しています


次の作業は 乾燥したら 種を取り出し 機械で絞ります
その時は またアップしますね お楽しみに(^-^)